地方に引っ越したら意図せず30代で実質FIRE状態になってしまった話①
以前、FIREという概念を知人に聞いた際、夢のような話だ!と、大きく心動かされたことがあった。
その後、FIREするにはどうすればいいかと熱心に考えた。
当時、東京都心で家賃15万のアパートに住んでおり、転居も特に考えていなかったので、この生活を年金受給まで維持するには、と必死こいて計算したものだった。
それなりに資産もあったが、まだ自分にはFIREは無理だなとがっかりし、そのままFIREについて考えることもなくなっていた。
それが、ひょんなことで地元に帰ることになり、空き家になっていた祖母宅にタダで住むことになった。庭付きで建物自体もしっかりとしていて悪くない物件だ。そんなわけで、家賃はゼロになった。
食事に関しては、徒歩圏内に近くに安いスーパーが何軒かある代わりに、ハイセンスで洗練されたレストランは一つもなくなった。
今日はちょっと一人で近所の3000円のランチに行くか、という誘惑もなくなり、毎日自炊で、食費が半分以下になった。
地方はコロナにかなり過敏になっており、旅行に行くことも憚られる雰囲気で、遠出といえば近くのショッピングモールくらいだ。そもそも単価の高いテナントが入っていないので、行ったとしても出費はたかがしれている。
そんなこんなで、何の努力もせずに毎月の出費がいきなり5分の1以下になってしまったのだ。
こんなに少ないお金で生活できることに驚きつつ、先日計算してみたら、今の貯蓄額で30年以上生活できることが判明した。
あれだけ欲しかったFIREが30代にして一瞬で手に入ってしまったのだ。
ハーバード大で史上最長75年にわたり行われた幸福研究で分かったたった一つの事実
先日、平日昼間に暇すぎてTEDを見ていたところ、興味深いスピーチを見つけた。
ハーバード大において、実に75年にもわたり、ハーバード大卒の集団と、ボストンの貧困層の集団を追跡し、何が人の幸福にとって1番大事なものかを調査した研究が行われている。
当初の被験者は約700人だったが、75年のうちに多くが亡くなり、その子供や孫たち2000人の調査をすることで研究は続けられている。
その結果、我々の人生をより幸福に、健康にする要因は何だったのだろうか。
答えは、お金でも社会的地位でもない、たった一つ「良い人間関係」であった。
75年もかけて、一見なんとも当たり前のように感じられる結果だが、人間関係「だけ」が幸福に寄与していたという結果は意外と驚くべきもので、多くの人の人生に影響を与えるのではないかと思う。
しかも、重要なのは、人間関係の「量」ではなく「質」だという。
結婚しているかどうかや、友人が単に多いかどうかということは幸福とは関係なかったのだ。
自分は友達が少ないからなどと心配する必要はない。
その人の満足のいく、密接で信頼できる人間関係が少しでもあるかどうかだけが大事なのだ。
そして、その人間関係はいつも順調である必要はない。四六時中小言を言い合うような夫婦であっても、お互い本当に頼りにできると感じていればそれで良い。
そして、良い人間関係は、脳の機能低下を防ぐ効果まであり、また、身体的痛みがある場合でも幸福と感じさせる効果も持つらしい。
そう言われて、自分にはそのような人間関係があるかと今一度考える。
あの友人は信頼できるがあの友人は違うかもしれない、自分の家族との関係はどうか、などと、一通り振り返ってみるいい機会になった。
良い人間関係を維持していくことは労力も時間もかかることだが、それ以上のメリットが確実にある。
住む場所を変えたい、仕事を変えたいと、変えたいことは色々あるが、どこにいればより良い人間関係を持つことができるのかを、一番の軸に考える必要があるかもしれない。
スタバに行くと東京にいるデキる人になったように錯覚する件について
先日、東京の雰囲気を感じるためだけにわざわざスタバに行ってみた。
日本中にカフェは山ほどあるけれど、スタバほど雰囲気を売って儲けているカフェはないだろう。
スタバで何か飲んでいるだけで、なぜか自分が充実した人生を送っているかのような錯覚と高揚感をを生み出すのだ。その体験のために、皆何度も足を運び、特に今飲みたくもないのにフラペチーノを注文しちゃったりする。
一時期、フラペチーノに金を払うのが馬鹿馬鹿しくなり、家のミキサーで自作していたことがあった。しかし、それらしいものが出来上がっても、同じ気持ちは得られない。
そう、紛れもなく、我々はスタバにただ飲み物を飲みに行っているわけではなく、体験に金を払っているのだ。
都心の店舗では、ただの平日にも関わらず席が空いていないことが多々ある。ぎゅうぎゅうの席の間にやっと空きを見つけ、列に並んで、やっとのことで席に着き、密密の中、肩身の狭い思いでコーヒーをすする。(コロナ前)
休日はほぼ座れず諦めることが多かった。
今は田舎住まいということもあって、私が訪れた郊外の店舗は半分くらい席が空いていた。
本を持ち込み、着席。
店舗全体や、家具、メニュー、カップ類に渡るまで全てに行き届いた洗練されたデザイン、メニューの独自性、おしゃれな人や、IT先駆者、場所に縛られない自由な働き方をしている人が集まっていると言うイメージ、その全てが、ここでしか感じられない都会的な雰囲気を作り出している。
周りにいるのはその辺のおじいちゃんや、でっかいプリントのあるTシャツを着たふくよかなおばちゃんなど、少し層は違うが、一応スタバはスタバだ。
ちらほらパソコンで仕事をしている若者もいるようだ。
何となく東京と繋がった気分に浸りながら、コーヒーでカフェインをとりつつ、自己啓発本を読んでいると、自分も会社でも興そうかという気持ちになってくるから不思議だ。
自分が片田舎にいるという事実は変わらないのに、謎の高揚感に包まれながらその場を去った。
一度上京した私が地元にUターンすることになったわけ
いきなり、有り余る時間ができてしまったので、ブログを始めることにした。
幼少期から高校までしがない地方都市で育ち、そこそこ高偏差値の大学を卒業した後、上京、結婚。
大きな組織での仕事を転々としながら、子供二人を出産した。
2人目を出産後一年ほどで離婚し、元夫と近くに住みながら半々で子育てをする共同養育を開始。
そんな生活をしばらく送っていたら、急遽、共同養育者である元夫の地方転勤が決まった。
一人で仕事と子育ての両立をすることはさっさと諦め、地元に帰ることを決断。
そして、仕事を辞め、地元に帰り主婦になった。
そういうわけで、東京都心から、いきなり地方都市の郊外に転居することになったのだった。
元々住んでいたところだし、ストレスなく楽しく暮らせるだろうと軽い気持ちでUターンを決めたものの、、
実際に住んでみると、
東京都心に10年近く住んでいた間に、自分の中での「当たり前」の基準が大きく変わっていたことに気づいたのだ。
そんな日々の中で考えたこと、雑多に書いていきます。